六十路になって広がった空間 |
求めないとどんどん幸せになるね。六十路になってやはり老化ってもんを感じた。と、同時に意識せず自然と死と向き合ってた。これも冷え取りのせいなのか?それとも自然の成り行きなのか?みんなそうなるのか??、なんか思った。若い頃のように寝込むことも無い、カラダもよく動く。けど、やっぱ女性ホルモンが少なくなったり、代謝が悪くなったり、熱中症になったり、若者とは違う。仕事場とカフェの行き来、ただの運動不足なのかな?、とにかく治癒力はバツグンなんだけど、衰えもあるよーな。五十路と六十路、、カラダの何かが入れ替わるよーな。。
それと同時に以前無かった「若者が愛おしい」気持ちが湧いてきた。そうなると面白いもんで、若者もなつっこく話をする。なおさらカワユイわけよ。昨日も若い女子が何人か来店。店に入って来るなり、ワタシにニコッっとしてくれるじゃないの!。恋人に会ったよーな情までも感じる。もうそれだけで思い残すことないやね。ま、難しいこと言えば、実在は今を生きる魂しかないわけで、、年齢差なんてないんだけどね・・。
それで言いたいのは、生き方なんです。昨日の女子の一人が、、「職場では年配というだけで上から目線で話すんだもん、でもいそじさんは違う!」って言う。嬉しいことです。ワタシ的には若い頃のまんまなだけで、そのまんま続けて生きてたらこーなっちゃったわけで、、
「若者の肥やしになって死んで行く」、なんか確かこの日記で書いたよーな、、それもおこがましいよね。そーじゃなくて若者と変わらずに一緒に生きること、って最近は思う。ある人が、「私もいそじさんと一緒で若者の肥やしになる生き方をしようと思いました。なので世話になりたがらない娘はほっといて、娘の彼氏にできる限りのことをしてあげたい」なんか言ってる。そこじゃないでしょ!って思っちゃう。ま、人それぞれなんだけどね。
で、ウダウダ書いちゃったけど、言いたいことがうまくまとまらない。
要は、、若者の世話するのは上から目線かと。仲間だったら世話しないでしょ。見守ってればと思いますよ。失敗してナンボ、ってもんでしょ。で、ワタシ的には年齢差の壁はほとんどないんですね。なので話すのも同じ目線、ダチですね。赤ちゃんもそうです。「コイツ、どこまでわかってんだろ?」って思いますもん。人格は年齢に関係ないんです。尊重しないとね。人はいくつになろうと若い頃のまんまやってればいいやんけ、、したら若者の時と同じ空間にいられるわけで、、年配者は勝手に時間を感じ過去をつくって勝手に老いちゃいかんバイ、って話です。
いえ、若者だって先が見えない不安な世、うちらがココロ開けば若者だって寄ってきてくれるんです。彼らもそうしたいみたいね。今の若者はほんま、カワユイのよ。うちらどうしても老いれば固まる。わがままになる。彼らに学ぶとこ大有りなんですよ。老いたら若者に従え!でしょ。。
年金貰ってこの世の競争から抜けてあとはせっせとリタイアー、ってさみしくねぇ~。。ワタシは寂しいな。老いという固定観念の壁つくって若者と分離しちゃうから寂しいんじゃぁね~べか(;O;)。だから孫、孫、って異常に可愛がる。そりゃ可愛いだろうけど、、ワタシは孫じゃなく若者がキテルな、若者がいるから老後が楽しい、素直に死も受け入れてシャバをリタイアーできる、、みたいな。。
雀鬼が、「若者の中に入れない大人はほんとの大人じゃない」、ってなこと書いてたっけ。ワタシもそう思うな。。