2011年 05月 30日
冷えないとこに行きましょ!!・・その③ |
さてと、、しつこく続きを書きます。。
自然は身も心も気持ちいい、人工は気持ち悪い、、その氣の感覚こそが進む方向の道しるべになります。カラダの細胞は他の細胞の栄養になって死んで行く「アポトーシス」の動きをしています。だからうちらも自己犠牲ができたり人が喜べば自分も嬉しい訳です。まんまで素直に生きれてば身も心もそれで完璧なんだろうね、、
人工食やら人工環境の中に居れば、思考も感覚も人工に変わります。固く鈍くなるんです。だからゆるもうと、本来の自然に還ろうと、「病気・修正」があるわけです。
何が言いたいか、、話を本題に戻せば、実はコトバによって固定観念が生じ、そこで悩み、固まり、冷え、、またゆるみ、温まるという自然の浄化再生の循環の中でうちらは生かされている。たとえ道が反れても(人工毒が溜まること)、幸せになるよう毒が溜まり苦が生じ甦る・・。そーゆう慈愛のしくみに包まれ育てられています。
なんで苦しむのか??それはうちらの「見方次第」なんですね。苦しむ原因は。コトバの意味に振り回され、コトバのトリックにハマり、幻想の未来に焦点を合わせ、過去を悔い、幸せになろう!いい人間になろう!を求めて生きちゃう。それやってちゃ今に生きるエネルギーも分散され、念(今のココロ)もシンクロもそれなりってわけです。さらにアタマでもがき、冷えを呼び、迷路にハマってく。そうやって生きていいの?ってことよね。ってワタシの経験ですが・・。力を抜けば「今ここ」を感じられ、健康だってそこにあったのに・・。
ま、あれこれ書いたけど、、結局はまんまで完璧なんですね。考える事で身も心も循環のワナにハマっちゃう。とは言え、コトバがあるんだし、条件反射的に表面意識・我は生じますよね。それでいいんです。我を無くそうとせず楽しんでれば・・。表面意識が幻想で変わるものだってことだけわかってれば、それでいいんです。そしてカラダの「今ここの感覚」さえわかっていればいい。そこに戻ればいいんです。そうすると、、少しずつ染まって行く。。自然の速度で。その割合が多くなり、、楽に軽くゆるく、人にも同調できるんです。
偉そうに書いてますが、、実際はここからが始まりかと。毒だらけになり、やっと這い上がったわけです。瞑想も玄米菜食でも浄化はできませんした。冷え取りの徹底で、、自力=地力=治力、と苦悩しつつ心を見つめ、死ぬほどの辛い瞑眩を乗り越え、、なんとか人生のスタートラインまで来たよーな。。それが冷え取りでした。いえ、これからが冷え取りの醍醐味かと。自然は浄化再生の冷え取りの動き、うちら自体が自然の動きをしてた!ゆっくりの自然のリズムで、、ってことも知りました。。
本来の自分はそこに在る。それはエネルギーとか電機とか光とか意志、みたいなもんでしょうか?なのにうちらはコトバ、表面意識、人工食、薬、、によって人工毒を溜め込み、ますます重く固まる。固まるからココロやカラダの浄化があり、瞑眩の好転反応があります。もうそーゆう自然の仕組みの中で生かされてるわけです・・。
こーゆうの、知った上でお任せで流れ、自然に染まってく、、いつかは本来の自分に還る、、ほんとは還ろうとモガかなくてももとからそこに在るだけなのに。。モガかなくていいのに、、至れり尽くせりでモガくようなしくみまでセットしてある、ってわけです。そうやって悪戦苦闘で生きるオモシロサまでセットされてるってわけです・・。
うちら最高に自由で幸せなんです!どう生きるかを自在に選べ、偉大な自然に死ぬまで付き添われ、より温かなところ行けるよう、導かれてるわけですから・・。
自然は身も心も気持ちいい、人工は気持ち悪い、、その氣の感覚こそが進む方向の道しるべになります。カラダの細胞は他の細胞の栄養になって死んで行く「アポトーシス」の動きをしています。だからうちらも自己犠牲ができたり人が喜べば自分も嬉しい訳です。まんまで素直に生きれてば身も心もそれで完璧なんだろうね、、
人工食やら人工環境の中に居れば、思考も感覚も人工に変わります。固く鈍くなるんです。だからゆるもうと、本来の自然に還ろうと、「病気・修正」があるわけです。
何が言いたいか、、話を本題に戻せば、実はコトバによって固定観念が生じ、そこで悩み、固まり、冷え、、またゆるみ、温まるという自然の浄化再生の循環の中でうちらは生かされている。たとえ道が反れても(人工毒が溜まること)、幸せになるよう毒が溜まり苦が生じ甦る・・。そーゆう慈愛のしくみに包まれ育てられています。
なんで苦しむのか??それはうちらの「見方次第」なんですね。苦しむ原因は。コトバの意味に振り回され、コトバのトリックにハマり、幻想の未来に焦点を合わせ、過去を悔い、幸せになろう!いい人間になろう!を求めて生きちゃう。それやってちゃ今に生きるエネルギーも分散され、念(今のココロ)もシンクロもそれなりってわけです。さらにアタマでもがき、冷えを呼び、迷路にハマってく。そうやって生きていいの?ってことよね。ってワタシの経験ですが・・。力を抜けば「今ここ」を感じられ、健康だってそこにあったのに・・。
ま、あれこれ書いたけど、、結局はまんまで完璧なんですね。考える事で身も心も循環のワナにハマっちゃう。とは言え、コトバがあるんだし、条件反射的に表面意識・我は生じますよね。それでいいんです。我を無くそうとせず楽しんでれば・・。表面意識が幻想で変わるものだってことだけわかってれば、それでいいんです。そしてカラダの「今ここの感覚」さえわかっていればいい。そこに戻ればいいんです。そうすると、、少しずつ染まって行く。。自然の速度で。その割合が多くなり、、楽に軽くゆるく、人にも同調できるんです。
偉そうに書いてますが、、実際はここからが始まりかと。毒だらけになり、やっと這い上がったわけです。瞑想も玄米菜食でも浄化はできませんした。冷え取りの徹底で、、自力=地力=治力、と苦悩しつつ心を見つめ、死ぬほどの辛い瞑眩を乗り越え、、なんとか人生のスタートラインまで来たよーな。。それが冷え取りでした。いえ、これからが冷え取りの醍醐味かと。自然は浄化再生の冷え取りの動き、うちら自体が自然の動きをしてた!ゆっくりの自然のリズムで、、ってことも知りました。。
本来の自分はそこに在る。それはエネルギーとか電機とか光とか意志、みたいなもんでしょうか?なのにうちらはコトバ、表面意識、人工食、薬、、によって人工毒を溜め込み、ますます重く固まる。固まるからココロやカラダの浄化があり、瞑眩の好転反応があります。もうそーゆう自然の仕組みの中で生かされてるわけです・・。
こーゆうの、知った上でお任せで流れ、自然に染まってく、、いつかは本来の自分に還る、、ほんとは還ろうとモガかなくてももとからそこに在るだけなのに。。モガかなくていいのに、、至れり尽くせりでモガくようなしくみまでセットしてある、ってわけです。そうやって悪戦苦闘で生きるオモシロサまでセットされてるってわけです・・。
うちら最高に自由で幸せなんです!どう生きるかを自在に選べ、偉大な自然に死ぬまで付き添われ、より温かなところ行けるよう、導かれてるわけですから・・。
by will_kenkou
| 2011-05-30 18:06
| 冷えとり&書籍