いそちゃん日記:カタカムナ&内観
2012-01-15T18:52:17+09:00
will_kenkou
「お~がにっく屋」のオーナーであり、冷えとりアドバイザーをしている"いそちゃん"の日記だよ~。自作の冊子「私のひえとり」¥735
Excite Blog
雑談・・
http://willss.exblog.jp/17317711/
2012-01-15T13:18:00+09:00
2012-01-15T18:52:17+09:00
2012-01-15T13:19:22+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
最近、腸がどんどん変わってる。
要は、お腹の自然菌とは、ソマチッド的強靭さと果てしない柔軟さとオモロさと、、、
そして宇宙と繋がる回路までもつくってくれる存在、、みたいなこと直感するな、、
なんとなくそう感じるのよ。たぶん当たってるな。
そこには「日常のつまんない感」ってのがないみたい。
なのでハラを浄化してお任せしてれば、将来を考えなくてもどこかに行ける!
それが一番の「楽でオモロイ省エネで最大効果の生き方」なんだべ!、、
とかわかってきて、、たぶんお腹ができてきたんだろうね。
ある人はハラこそサトリって言ってるし。
だよね、お腹、御中、、これって中心軸ってことよね。
脳は納、、納める受信機やね。
脳はノーで、実はあるよーでない倉庫のよーなもんかな。
なのにアタマで生きるから苦悩や恐怖やムリがある・・。警告よね。
ハラと脳、、ウマく使えばオモロク生きられるってわけよね。
問題は、、自分自身=お腹の絶対微生物、との共存なのよ。
こうして絶対微生物とか打ち込んだだけでお腹が喜ぶもん。
各々の意識、あと食、、それによってお腹の菌も如何様にも変わるみたいね。
ヒトはハラ意識との一体化でどこまでも変化する!これってスゲー気づきかも!!
てか、こーゆうのって古代では当たり前に誰もがわかってたんだろうね。
ならばうちらは記憶を想い出すために生まれてきたのかな??どないやねん???
てのはアタマ、この辺でやめとこ。。isoji
]]>
何に従って生きるか・・
http://willss.exblog.jp/16651338/
2011-07-28T10:13:28+09:00
2011-07-28T10:14:15+09:00
2011-07-27T12:07:31+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
したら本部に連絡してるし。交番に来いと言う。
上は前回の記事だけど、他愛もない内容ですよね。でもお腹から「納得できない、署名するな」、って湧いたんですね。で、「面倒だし従えばいいじゃない」ってアタマでは思うのよ。でもあえてお腹の声、カラダ・本音に従ってみたわけです・・。
世の中、そーゆうもん!なんていい切る人、規則や法を遵守して要領よく生きられる人、周囲にいるよね。いえ、そんな人ばっかかな。「殺人したら死刑が当然でしょ!!」って言い切る。「だからって死刑にしていいの?」って言うと「身内が殺されたらどうなの!」って迫ってくる。「それでも死刑はダメでしょ!、それじゃあなた、絞首刑の縄を切れるの!?」までは言えない雰囲気。うまく言えないけど、ワタシ的には法で人を裁くのが当たり前、って社会は見せしめ的で寂しくもあるのよね、、
ってそれたけど、、法や規則や社会の構造、、それってどうなん??てのがジブンの中にはずっとあった。今まで悶々として戦ってきたわけです。したら一人ヤマンバになってたわけです。気楽だけどね。で、パンの厨房も3年に一度、保健所の検査が来る。当日に「これから行く」っていきなり電話が入る。低調に役人口調に従うっきゃない。もう毎回、その雰囲気が嫌でたまらない。
で、嫌って意識するほどに、規則や法やお役人が自分の中で大きく膨らむわけです。それで今回、一時停止で検挙された。自らの意識が引き寄せたわけよね。または指導霊?守護霊?。とにかく今回は、お腹の声に従って「納得できないので署名しません!」って言ってみたわけです。この言ってみた、ってのはワタシ的にはかなり重要なことなんです。なんでって、結果はわかってるし抵抗はバカらしい。でも、「仕方ないなもう、、」ってやってみた。。
自分の基準としては、「自分も相手も良くなることは言ってよし」ってキマリがあるんです。ま、調子に乗って交番でしゃべりまくったけど。でもきのうその近くを通ったら、なんとなく、あのお巡りさんどうしてるかな?行ってみようかな?って情が湧くのよ。。とにかくやってみる、動く、はACT(アクトで開く戸)、でしたね。
お巡りさんも検挙したいわけじゃなく、仕事だし上からの命令だし、それで勤務評価もあり大変なんだわ、、これはもう銀行員営業マンのノルマと変わらないな、頑張っているんだな、って思ったわけです。。
で、今まで法や規則や体制に敏感だったのが、今回の一件でやっと受け入れる気持ちになりましたね。「賢者は戦わずして勝つ」ってことは意識の拡大よね。最終的には今のシャバを楽しむしかないわけで、、でも戦ってこそ人の傷みもわかり、気配りでき、見えなかったもんが見え、そこに近づけるわけよね。しかも経験てのはカラダでわかると言うか、、また一つ、大きな固定観念・冷えが融けましたね。アホやってナンボ、いい経験でしたね。。
生きるヒントは現場にある!、ってね。その葛藤や戦いや苦悩こそが「毒出しの瞑眩」ですがな。そんで浄化された未来の自分が現象化するわけですよ。それが偉大な自力=地力=慈力=治力、、に繋がるってわけよねナンチャッテ、、検挙されといて言うことが大げさですね。。
でも「悶々としてるときこそ未来の自力ができるエネルギーが蓄積されてる」ってこと、今回はキャッチしましたね。キマリに従って無難に、受動で生きたら損よね。。
]]>
さとりとは(;O;)(・・?!??
http://willss.exblog.jp/16304714/
2011-05-09T17:45:00+09:00
2011-05-10T11:12:04+09:00
2011-05-09T17:41:11+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
ほら、ソファーもふかふかで、前方のドアーが全開で、いいねぇ~!!新緑の匂い。カプチーノとクリームビュフレ(プリンみたいなの)をいただいた。ココロも笑みが湧き、ウキウキやね。広いロビーのカフェ、誰もいなくてゆっくりできた!幸せすぎるよね。
ここでこの本読んだのよ。たった¥580だけど濃いです。著者のエックハルト・トール氏によれば、大いなる存在は「自分と共にあるという感覚」と。これは確かにあるのよ。だからウキウキするし、常にワタシにくっついてくれてるからこそ安心なわけで、、しかもそれって凄まじい瞑眩ののちに感じたから、かれこれ10年になるかな。なので大いなる存在は治癒力、でもあると思うのよ。あれもこれもなくて、唯一無二なのよ。唯我独尊、とも言えるよね。
で、この本によれば、ほんとの自分とは「思考を越えたもの」。思考とは別の源泉から湧く喜び、平安、愛、、とかだそうです。それが無我の境地なんだそうです。過去も未来もない、いまここの自分よね。ここんとこ感情、思考、シャバ、過去や未来、、そーゆうもんが昔よりもど~でもエエってなった。いや実は、昔から過去の写真は1枚もないし、そもそもアルバムに興味がない。1冊もないんですね。あるのは亡き父と母の写真が数枚。ワタシの葬式はどうすんだろ??
で、ニセの自分とは「思考」だそうです。ニセって表現よりも実在じゃないってのが解り易いよね。てことはいつも言ってるよーに表面の固定観念のシャバ脳の自分よね。でもそれがあるからバーチャルになれるわけよね。無心に。で、これより深く入ると「完全意識」だそうです。このレベルは自分の存在を喜びとともに感じる、とか。これ、たまにあるよね。自我のない無我の境地が笑み、だそうです。それってデトしたカラダから湧くのよ!!
アタマ&カラダ、どっちが正しいか?カラダよね。だって思考と感情だってカラダから湧く感情が正しいよね。だからって感情がすべていいわけないし、それを客観視できることが大事よね。それをしつつ騒いでる、これって最高よね!そしたらシャバのコトバもメチャ楽しめるし、、そーゆう状態が大いなる存在の入り口で、、出たり入ったりすりゃいいってわけよね。
結局、シャバはいつか学校帰りに見たあのショックだった風景、スクリーンなんですね。スクリーンと一体になって喜怒哀楽やってるからキツイわけですよ。スクリーンと知った上でメチャ楽しむ、いえ、知ってるからこそシャバはオモロイってことよね。もち、コトバもそうよね。取り込まれず、わかってて楽しめればいいわけよね。
で、人生はそこからなのよ、楽しいのは。さとりとは「いまここの瞬間」を感じる事、思考を越える事、喜びのカラダと一体になる事、思考・固定観念の否定じゃなく必要なときに使ってく、、あとは直感を使ってく。なんか偉そうに書いちゃったけど、、さとりとはスゲーもん!とうていムリだべ!って意識も、もしかして固定観念で自我の思考かもね、、ただコロコロ流れてればエエのかも、、
(きのうはワタシはさとってんのか!?なんてここで書いちゃった。今朝、読んでみてあまりにも浮かれたハズイ文章に驚いた。そんでバッカジャナイノオ~~って文章を即、修正した。これも自我の「思考」なのか?、、裏と表、ほんとココロはよく変わるよね。だからこそ淀まない、人はよくできてる、、すべてが完璧やねナンチャッテ・・)]]>
IMAKOKO
http://willss.exblog.jp/15972356/
2011-02-26T14:48:00+09:00
2011-02-26T18:33:51+09:00
2011-02-25T16:14:48+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
これ、昨年の暮れに買った。精神世界はいくら読んだってきれい事やね、シャバはそんな甘いもんじゃないぞ~!!なんか思いつつ買った。それは、、この本に氣が入ってて本音で書いてる、なのでつい買っちゃった。それに、悟らないとホントの幸せで生きられない、なんか書いてあるし、、読むっきゃないっしょ。でここんとこ読んだら、かなりいい内容でしたね。
実は15~20年前は精神世界にハマってた。来る日も来る日も朝から晩まで覚者と言われてる人のビデオを見ては朝まで瞑想三昧だった。週末が来れば、あちこちの覚者と言われてる人の講演を聞きに行った。物質化やテレポートがしたかった。そしてワタシのやってる事は??「これって欲じゃないのかぁ~~!!」てことにやっと気づいた。向ってる方向が逆だった!特別な人になることじゃない!みたいな。
悟りがどんな気持ちなのか?誰も教えてくれないし、「知った人は語らない」・・なんか本には書いてある。物質化にテレポート、それもこの目で見た事がない。ある覚者は、「今は見せる時期じゃない!」とか言ってたし、、バカらしくなった。それでシャバで地に足をつけて働くことにした。
それでも自己追求はやめなかった。自力=字力で、誰にも聞かずにあれこれ考えては直観を呼び、少しずつカラダやココロについて自分なりにわかってきた。その後、冷え取りにも出合い、毒出しで死ぬほどの人工毒が出た。それじゃあの、朝までの瞑想や覚者の講演はなんだったのか!?。やっぱまずはカラダの浄化やね!!なんか思った。なんでも飛び越えられないのよね、苦悩してこそ楽があるわけよね。
で、苦悩したのなんのって!冷え取り歴17年、毒受け歴15年、その後は確かに風邪、偏頭痛、胃炎、鼻炎、胆嚢炎、便秘、歯痛、どの症状もまるでなくなった。おまけに最近はお腹が笑うわけよ。お腹の菌群がセレトニンをつくるって説もあるよね。ああ人って弥勒の笑みで出来てる!!って思った。怒ったときもお腹を意識すると笑えるわけで、、おかしな状況に。ああ、感情ってこんなもんなんだ!感情は実在じゃなくて消えて行くもの、つくりもんなんだ!って思った。そう、うちらはいつも言うよーに、コトバのトリックにハマってる。自分が取り込んだ今までの過去の観念によって物事を判断し、感情をつくってる。感情は生まれるんじゃなく自分の観念で生んでるわけよね。
そうするって~と~??、、実在ってのは固定観念という過去の産物の奥に潜んでるってわけなのね??、、するって~と~??、、今こことは固定観念てフィルターを外したとこにあるわけね!ああ、固定観念が冷えなわけね!何も判断のない奥の自分こそ、実在で今ここ??。ま、観念で考えたってそうなるよね。
この本によれば観念とは過去の経験の積み重ね、なので観念で判断してる自分は過去に生きてる、と書いてある。となると、うちらは「それじゃ思考をやめよう!」ってなっちゃう。それが相対の見方、冷えなのよ。そーじゃなくて、思考があるから実在・今ここがわかるわけよね。思考を無くせばただのアホやんけ、って話でしょ。
毒があって甦る、プラスがあってマイナスが働く、、うちらはそーゆう世界に居るわけよ。居るんじゃなく育てられてる。そこもなんも考えないでただアホに生きたってヤバイっしょ。しかりした観念がなきゃぁ、落ちたらそのまんまになっちゃうわけでしょ。そんで暗い自分を責めちゃう。多いよねそーゆう人。それと、この世的には優秀ないい人に多いけど、「冷え取り」も「プラス×マイナスの宇宙&シャバ法則」なんかも全く興味がないし、反発する。ま、カラダに毒が溜まってるから人工志向になっちゃうわけだけど、、アタマだけじゃ、いつか病気よね。
で、そーゆう人はと言えば、、奥の自分じゃなくアタマだけで生きてる。だから話しても会話が流れない。コトバにいちいち捕らわれる。なによりも「恐怖」があるのよ。なぜって半分の表面(観念・過去)で生きてるから必死なのよね。自分のプライドを守るために装うわけ。どんどん仮面が分厚くなって奥の自分がわかんなくなっちゃう。何をしゃべっていいかもわかんない。これ言ったら嫌われる、とかいつも自分を見張ってる自分がいるわけ。なのでこっちも本音でしゃべれない。こっちからすれば見え見えなんだけどね。
上の本の著者、阿部氏も、「今こことは、見張りのいない状態」と、書いている。見張りねぇ??そりゃぁワタシにだってあるけど、そんなんメンドイでしょ。自分で自分の見張りを創って生きる??、それこそ一人で居てもストレスになっちゃうわけよね。今、そんな人が多いよね。アタマに固定観念の「病気」はあるわ、見張りはいるわ、毒はできるわ、モトのエネルギーも入らないわ、、ムズイ生き方よね。まんまで生きるだけでいいのに、、どんどんおかしくなって自分を責めたり人を攻めたり、、で、行き着くとこは、ウツだったり、無差別殺人だったり、自殺だったり、、実は怖い話なのよね、本音で生きないと・・。
で、人は素で生きなきゃエネルギーが入らないわけね。だって素直はモトに直で繋がるって事。モトとはエネルギーでしょ。だから素で生きればモトの氣が入ってきて「元氣」なわけよ。モト(神・自然・実在の自分)と繋がってれば、人に嫌われようが一人だろうが全然平気なわけよね。てかモトモトうちらはモト・素・しかないのよね。それが「IMAKOKO・今ここ・今の瞬間」なわけよね。
本来の自分てスゲーもんなのよ!、まずは本音で生きなきゃ出合えない。ってワタシもまだまだなんだけど、期待で小さな胸が、いえ垂れた胸がチョー膨らんで破裂しそうでんがな。要は、、お腹の弥勒の笑み、今の瞬間、瞑想状態、電車の窓からポカーンと景色を見てるとき、お風呂に入ってくつろいでるとき、混沌のとき、今これを一途に無心で打ち込んでるとき、、うちらもともとタオなのよね、素の今ここの自分が。あるがままでいいわけよ。良く思われたい、嫌われたくない、こうしなきゃってMUSTの世界も不要な心地いい方向、、それって簡単でしょ!!
すいません、「いまここ」をまじめに書くつもりが、、ま、素直に書いたらこーなったわけで、これがいまここ意識だもんナンチャッテ。。要は、、IMAKOKOとは、、本来の自分に成りきること、、みたいね。何度も言うけど、それっきゃないのにね!!
で、ワタシ的にはデトしたカラダ意識・感覚で生きることかな。いえ、デトすりゃ本来の弥勒の笑いも出てきて、ちょっとずつIMAKOKOになれちゃうってわけよね。]]>
六十路になって広がった空間
http://willss.exblog.jp/15742967/
2011-01-10T16:19:00+09:00
2011-01-11T13:48:13+09:00
2011-01-10T11:13:25+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
求めないとどんどん幸せになるね。六十路になってやはり老化ってもんを感じた。と、同時に意識せず自然と死と向き合ってた。これも冷え取りのせいなのか?それとも自然の成り行きなのか?みんなそうなるのか??、なんか思った。若い頃のように寝込むことも無い、カラダもよく動く。けど、やっぱ女性ホルモンが少なくなったり、代謝が悪くなったり、熱中症になったり、若者とは違う。仕事場とカフェの行き来、ただの運動不足なのかな?、とにかく治癒力はバツグンなんだけど、衰えもあるよーな。五十路と六十路、、カラダの何かが入れ替わるよーな。。
それと同時に以前無かった「若者が愛おしい」気持ちが湧いてきた。そうなると面白いもんで、若者もなつっこく話をする。なおさらカワユイわけよ。昨日も若い女子が何人か来店。店に入って来るなり、ワタシにニコッっとしてくれるじゃないの!。恋人に会ったよーな情までも感じる。もうそれだけで思い残すことないやね。ま、難しいこと言えば、実在は今を生きる魂しかないわけで、、年齢差なんてないんだけどね・・。
それで言いたいのは、生き方なんです。昨日の女子の一人が、、「職場では年配というだけで上から目線で話すんだもん、でもいそじさんは違う!」って言う。嬉しいことです。ワタシ的には若い頃のまんまなだけで、そのまんま続けて生きてたらこーなっちゃったわけで、、
「若者の肥やしになって死んで行く」、なんか確かこの日記で書いたよーな、、それもおこがましいよね。そーじゃなくて若者と変わらずに一緒に生きること、って最近は思う。ある人が、「私もいそじさんと一緒で若者の肥やしになる生き方をしようと思いました。なので世話になりたがらない娘はほっといて、娘の彼氏にできる限りのことをしてあげたい」なんか言ってる。そこじゃないでしょ!って思っちゃう。ま、人それぞれなんだけどね。
で、ウダウダ書いちゃったけど、言いたいことがうまくまとまらない。
要は、、若者の世話するのは上から目線かと。仲間だったら世話しないでしょ。見守ってればと思いますよ。失敗してナンボ、ってもんでしょ。で、ワタシ的には年齢差の壁はほとんどないんですね。なので話すのも同じ目線、ダチですね。赤ちゃんもそうです。「コイツ、どこまでわかってんだろ?」って思いますもん。人格は年齢に関係ないんです。尊重しないとね。人はいくつになろうと若い頃のまんまやってればいいやんけ、、したら若者の時と同じ空間にいられるわけで、、年配者は勝手に時間を感じ過去をつくって勝手に老いちゃいかんバイ、って話です。
いえ、若者だって先が見えない不安な世、うちらがココロ開けば若者だって寄ってきてくれるんです。彼らもそうしたいみたいね。今の若者はほんま、カワユイのよ。うちらどうしても老いれば固まる。わがままになる。彼らに学ぶとこ大有りなんですよ。老いたら若者に従え!でしょ。。
年金貰ってこの世の競争から抜けてあとはせっせとリタイアー、ってさみしくねぇ~。。ワタシは寂しいな。老いという固定観念の壁つくって若者と分離しちゃうから寂しいんじゃぁね~べか(;O;)。だから孫、孫、って異常に可愛がる。そりゃ可愛いだろうけど、、ワタシは孫じゃなく若者がキテルな、若者がいるから老後が楽しい、素直に死も受け入れてシャバをリタイアーできる、、みたいな。。
雀鬼が、「若者の中に入れない大人はほんとの大人じゃない」、ってなこと書いてたっけ。ワタシもそう思うな。。]]>
前回の続き・・
http://willss.exblog.jp/13930264/
2010-03-12T18:08:00+09:00
2010-03-13T11:15:29+09:00
2010-03-12T18:08:36+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
きょうは通販の発送をして、昨日のブログの続きを書こう!って思ってたら、お客が二人入ってきた。田舎人はこれだもん。2年前、平日は通販の仕事が忙しいので店は週末だけにした。そしたら文句を言う人が結構いて、マジで怒る人も??何で怒られるのかな??これも内陸気質?? たまに睨まれたりで、、実際は目ぢからで何人か泣かせて来たけど、最近は丸くなった。「どーしても週末は来られないなら、平日でもいいですよ!」って言った。そのどーしてもは聞いてなくて、、当たり前に来て、、当たり前にくつろいで、、こちとら仕事中なのに、、発送したくて焦ってんのに、、全然平気。きのう当たり前になるって書いたけど、、当たり前が違うんじゃぁねーべか??? たまに都会人がここに来るけどマナーがまるで違う。都会でもまれたワタシには、すでにここに住んで十数年も経っているにもかかわらず、、長野県民にはなりたくないし内陸気質の田舎人にはいまだ馴染めない、、
で、その一人が乳ガンの手術をしたって言うし、いろいろ聞くから、、そんじゃぁってカラダのことを一時間もしゃべって、、したら、やるべき発送も明日になっちゃったし。。「やっぱ週末に来てください!」って言いたかったけど言えなかったしイヤハヤ。。できればこれ、読んで欲しいっす。急ぎの買い物も別になかった様子でイヤハヤ。
ところできのう書いたお金のこと、、エネルギー的に見れば出すことで入ってくるんです。でも、それだけやってたらお金は無くなる。この世的にはどんだけ出してどんだけ入るかのバランス感覚が大事なんです。どんぶり勘定じゃぁ自己破産。それだけのエネルギーを使ってないのにバンバン使っちゃうから破産でヤバイ。
ちと言わせて貰えば、、アナログで伝票を起こし帳簿をつけて月の利益も出してる。ちなみに経理学校まで通って決算も完璧に覚えた。数字は見ててオモロイし癒されるので一日の仕事を終えた夜にやる。結果、人件費を減らしてお客様サービスの割引もしてる。利益も出し、税金も人並みに払って社会参加もできてる。アワとヒエ、、いや違った、アワの感性とサヌキの理性で物事はすべて両方で治まるわけで。。そんでもってジブンにも人にも「半々でいいやり方」ってのがワタシのビジネスの基準なんよ。
よく、「楽しいことだけ考えていい波動で生きよう!」みたいなこと言ってる人がいるけど、、そうじゃなく、この世的なやることやって地に足つけて、、そんでもって見えない世界、エネルギー的な世界も見なきゃいかん、ってことでしょ。なんでもそう、半分で生きるから、、苦しいってことなんです。ガンだってそう、、「カラダ自体の治そうっていう意識みたいなもん=治癒力」を無視して、、ただ人工で治そう治そうじゃ、、カラダも直す気がなくなるってもんでしょ。
お釈迦様の「生老病死」だってこの世的なことで、、「色即是空」ってなあの世的なことも言ってるし。空が病気になるのか??って話でしょ。だけど、、ネサンさんは顕微鏡を、正確にはソマスコープを開発してソマチッドを発見。んで、その動きを80歳すぎても見続けて、、ほとんどのガンをくすの木の樹液のリンパ注射で、体液浄化して完治させちゃってる。これぞ理性&感性のカタカムナ的、宇宙の理にかなった研究。。
色即是空、なのでカラダも空!たって、カラダは血でもあるわけでしょ。外界だって化学物質で汚染されたら、それを分解する微生物ちゃんが出てきて数年で浄化しちゃう。でも、化学物質の薬を飲み続けてる人間のカラダはヤバイ!微生物ちゃんはいなくなり、、さらに複合汚染は進む、、ガンになるにきまってる。そこでカラダと向き合わねば、お釈迦様だって言ってるし、生老病死は当たり前!とか言ってたら、、それがソマチッドちゃんにも以心伝心伝で、当たり前に病死。
「人は最後は病気で死ぬ」ってのもこの世的な固定観念でしょ。実際は病気なんかじゃなくて人為の汚染でしょ。そのモトは病気って固定観念。なんでも、「この世的サヌキ性&あの世的アワ性」の理性&感性の両者で見なきゃいかんわけよ。陰と陽、色と空、見える世界と見えない世界、お金とエネルギー、、理性と感性、、アワとサヌキ、、もしか、見方が片方になると、バランスが偏って「気が病む」、、んじゃぁね~べか。。
]]>
大体は逆、、みたいな独り言っす、、
http://willss.exblog.jp/13915982/
2010-03-10T18:09:00+09:00
2010-03-10T19:11:24+09:00
2010-03-10T18:09:00+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
そう、エネルギー循環の邪魔が病気。医者も病院も無い自然界には病気が無い。野生動物はそれを知っている。こんなに病人が多いのも人間界だけ。もしか、、お釈迦様の「生老病死」ってのも間違いなんじゃぁ??ってひそかに思ってる。だっておそれ多いけど言っちゃうと、、お釈迦様だって冷え取りしたわけじゃなし、、病気をとことん追及したわけでもなし、、そこんとこは進藤先生のほうが上でしょ、、、ワチャー!!言っちゃった、、
ま、サトリだってそう。うちらが考えるサトリの方向にはそれはなくて、、そこを除いた世界がサトリの世界みたいやね。サトってようがいまいが、、みんなエネルギーなわけで、そんな追求はやめた方がいいかも。。それよりも目の前のできる事はと言えば、毒だし!なんですね。しっかり人工毒を出したら自然との差が取れてサトリやね。今、あれこれ症状がなければ死ぬ時だってなんもないわけでしょ。生きてるってことは死ぬことだし、せっかくのシャバだもん、心地よく生き死にせねば。。
それと今、歯の治療をしてる。インプラントで200万ぐらいかかる。使えるお金はといえば通帳に150万かな。それもギリギリ月の仕入れの支払いに使うお金なんよ。だから無いに等しい、、けど全然平気。予算は?って聞かれて、「将来的にできる限りより良い方法で良い材料でお願いします!」って先生に話した。ジブン的にはそれが当たり前になってて、、ずっとその調子でやって来た。お金が無くてどん底!になったこともない。その「当たり前の意識」が大事なのかも。。
何で当たり前なのかと言えば、神様に守られてるとか、、そーゆうもんじゃない。ただ、出せば歯医者が潤い、患者の治療ができ、最新の機械も買えて、歯科衛生士さんも雇えるわけでしょ。したら多くの人が治療に行ける。。ジブンがお金を使うことで循環する。いちいちこんなん考えて使ってないけど、、循環の流れにのっかるってことなんです。使うことで当たり前に入ってくるんです。だってすべてがエネルギーなんですもん。お金に見えてそれってジブンが働いたエネルギー。。そこに留めてこのお金は自分のもん!なんか言ってたら、、入ってこなくて苦しくなるばかり。
ビジネスもそう。淡々とやってジブンのエネルギーを使うんです。ま、ここまで来るには苦悩もしたけど。でも忙しく働いても、仕事しないでのんびりしてても、、どっちもそれが長く続けば「苦」なんですね。両方やってみてワタシ的には生涯現役がいい!ってなったわけで。。要はどっちでもいいんです。どっちがいい!なんてのは人間のクセで、それやってたらどこまでも「苦」がなくならない。続ければ、、それが当たり前になっ苦も楽になる。そ~ゆうもんみたいね。要はお金もそう、すべてが自然と同じ動きで循環してる!ってわけです。
なのでどっちがいいかの相対の見方、判断(ちなみにこれぞ冷えのモトなんです)をやめて、、なるべく心地いい感覚で今を生きればいいわけで。でも、心地悪いのを避ければいつまでも心地悪いとこに留まる。そこんとこをわかってないとイケネーわけで。。なんでも楽を求めて逃げてちゃ苦が来るし、、それを越える抵抗力も無いってなるわけで。。
冷え取りがいい例で、、つらい瞑眩を越えれば自然に近づける。。自然がらくちんで人工が苦悩で病気。。なんでらくちんかと言えば、、うちらはエネルギーそのもんなわけよ。なので冷え取って、、そーゆう生き方のコツみたいなもんを、、それこそカタカムナのアマウツシで享受して、、自分なりに生きねばいかんわけで、、
んでムズイからこそシャバはオモロイわけで、、シャバはイヤハヤなところっす。。]]>
いそじ的カタカムナ、アワ性&サヌキ性
http://willss.exblog.jp/13817338/
2010-02-25T17:52:00+09:00
2010-02-26T10:02:49+09:00
2010-02-25T17:52:39+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
これは近くのサントリー美術館の庭、、外にカフェがあって天気がいいと、たまにそこに気晴らしに行く。
見るたびに、、「こんなんどこがいいんじゃぃ??意味わかんないし、、」って思っちゃう。そんで美術館や博物館へも行かない、、行っても「フ~ン」みたいな感じでオモロクない。なので今はカフェで読書の方がワタシ的にはずっといい。
旅行だって、大自然の山の中に住んでるし行きたいと思わない。ここ、お~屋は浅間の噴火の時の花崗岩、マグマがビッシリ埋まったとこに建ってる。そう、イヤシロチですねん。そこにたった一人で近所の付き合いも全くなく暮らしてるヤマンバムソジ。。となると、イヤシロチの洞窟にこもってカタカムナを解読した、あの楢崎さんに似てるよ~な。。そっか、ここは「アマウツシ」の感受にはもってこいの「場」、だったんだぁ~~!!
ちと話がそれたけど、、アワ型人間はこの写真のよーな芸術品が響かないそうで、、「ワタシは感性がおかしいのか??」って長いこと思ってたけど、そうじゃなかった。アワ性ってのは、「高度な美意識を求める」性質だとか。。例えば、、霧氷を見て感動する。「こんなんゼッテエー絵にかけないし、絵とは違う!」って思うのがアワ気質だそうで、、それを書きたい!カタチにしたい!って思うのがサヌキ気質だそうです。
なので、、ムリに感動しなくてもいいんです!アワとサヌキの違いなんですから。それがわかるとそっか、あの人サヌキなんだ!!って納得できることが多い。以前婚活でちと付き合ってた人がいて、、すごく可愛がってくれて、、「サヨはカワエエノオ~~」みたいに。。ムソジのヤマンバでも一度付き合うと、、その素朴でボケーッとしたコワラちゃんみたいなカワイサにみんなヤラレちゃうウフウフ、、
てか、そーゆーことじゃなくて、、彼は強力なサヌキ人間で行動力はかなりなもんがあって刺激された。けど、人の深いとこの気持ちが全くわかんない。お互い微妙に会話が通じない。可愛がってくれても何故か寂しい。いい人だったのに、わかり合えない寂しさ、一人の方がいいかも、って別れた。そっか、サヌキとアワ、正反対だったんだぁ~!!って納得。それにしてもやっと婚活でできた男子、、モッタイナイ話(/_;)
で、アワの力ってのは苦悩するココロだそうで、、より良い方向に行こうとする生命力なんです。だから譲れなくて苦悩し、、納得できないとせっかくできた男子とも別れちゃう。。そして、苦悩から脱出するとアワ量が増える。。瞑眩を越えて鍛錬され、、ツエー人は苦悩しつつもアワが増え、宇宙波動に少しずつ染まれるってわけです。でも、カラダもココロもヨエー人はエネルギーが落ちて、それこそウツになるってわけで。。もっとひどいと絶望から自殺ってことにもなっちゃう。。
で、エネルギー補給は食だけじゃ半分なんですね。なんでもそう!宇宙のしくみってのは二つあって一つになってるんですよ。毒と甦り、陰と陽、オトコとオンナ、サヌキとアワ、生と死、血と氣、カラダとココロ、物質と生命、、色と空、、みたいに。二つに見えて、、実は同じなんよ。ジブンと他人たって同じもんでできてるわけで、、神(自然)もジブンも同じものなんよ。。
ってまたそれちゃったし。。で、うちらはアワ量を増やす方向に生かされてる。なんたってアワってのがアマ・天で点だもん。なので病気だってカラダじゃなく、、氣が病むって書くし、、食だけじゃなく「カラダの自然のヒビキを感じなきゃぁ」病気になっちゃうわけよ。当たり前に薬を飲む人、、これってサヌキ・知識人間なのよ、アワ量(自然量)が増えたらゼッテエーできないことでしょ。
ワタシの場合食以外のエネルギー補給には、、まずは生かしてくれている存在(法則)を常に想う、癒しの場をつくる、カラダへの感謝、弱ったときは目を閉じる(かつて瞑想でつかんだ笑みと湧き上がるエネルギーを充電、車の運転もそれに近い)、、おいしいプリンやあんぱんを食べる、、カフェで珈琲とカタカムナを読む、、上司に束縛されない自営の仕事、、パンの研究、、疑問の発信・受信、、自力で生き他人の役に立つ、、心地良い方向に生きる、、お客にジョークを言う、、かな。。
(参考)
アワの性とは、、内観的、柔軟性、依存的、親和性、植物性、潜像系、女電気、、
サヌキの性とは、、主観的、攻撃的、自己中心的、独善的、動物性、現像系、男電気、、
本によれば、「サヌキ量が多く、高度の知識があってもこの世的な「大脳二次波動」が生じ、低次元に留まってしまう」と。。この世の知識だけではアマウツシ(天意を感受)のカシラ(脳)にはとうていなれないそーな。。いくら頑張ってもエネルギー補給されずに活性酸素型人間に、、そして病気に。
もち、サヌキ性があってこそ知識が増え、それがアマウツシのウツワになるってことで、、両者とも大事ってことなんです。
「眠れる脳の覚醒」、、それはやっぱ知識じゃなくアワ量(アマウツシの量)を増やすこと。そのために、うちらは数パーセントの脳しか使ってないのかも??。で、アマウツシってのは、、天意のキャッチ波動ってことかな。。まずは、、毒だしやね。そんでカラダの自然を取り戻し、、全身の感性でアマの意志とやらを感受・キャッチするってことやね。ま、これって究極にオモロイ、、永遠に楽しめるゲームやね(^_-)-☆]]>
カタカムナ・・天然自然のヒビキを感受しましょ!!
http://willss.exblog.jp/13731225/
2010-02-18T10:08:00+09:00
2010-02-18T17:11:28+09:00
2010-02-14T15:18:04+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
チョーキレイ!!一昨日、お日様が出てて青い空、そこに真っ白な霧氷?だか雪氷?だか、、樹に真っ白い花が咲いているよーだった。明日はどうかな?? ここんとこ日中も寒いので雪氷?が毎日楽しめる。山一つがこれだもん、一生に一度のナマ景色。。もうカラダが感激しまくり~~!!
カタカムナによれば、、「快い気持ち」こそが生命が喜んでる状態。。その、、天然自然のヒビキの感受こそ「カムウツシ」「アマウツシ」という天意を感受できる「カシラ」となる、、この感覚を流さずに脳に覚えさせることが大事、と。
どーゆうことかというと、、要は、天意を受け取るには天(生かしてくれてる存在)に感謝し生かされることと、天を敬う素直な姿勢がまず大切。それと日常起こるすべての現象をありがたく受け止め、天のコトバを感じ取り、自らの力で処理し、感動し喜び苦悩し、、常に天・自然・神の子として生きる、、みたいなことでしょ。。
この空間が意識であり、、すべてはうちらへの警告みたいね。ま、警告というよりももっと楽しくやればいいわけで、、そこにヒントがあり、、そこで思念が浮かび、、それが「アマウツシ」のヒビキとなり、直観を呼べるってことなんです。それをしなきゃぁ、、「生命が喜んでる状態」がいつまでもわからないわけで、それなしで生きてちゃモッタイナイってわけです!いえ、モッタイナイだけじゃなく、、エネルギーが充電されなくて、、それがいつか病気・老い、、につながるんです。。なので、、心地良い方向に、いつまでも子どもみたいに喜んで生きることが、スゲー大事、みたいね。
これは今日の景色。樹によっても違うし、、またまたカラダが感激しまくり~~!!そのときの気持ちこそが天と繋がる波長、なので脳にインプット!ってことやね(^_-)-☆
こっちも同じ場所で撮ったんだけど、、写真上部のカラマツがきれいだった。感激しまくり~~!!ありがたや~~!!
お~屋の前の道をちと登ったとこっす。
]]>
カタカムナの始元量「マ・アマ」、、それがうちら、、ってイヤハヤ(/_;)ど~するぅ~~??
http://willss.exblog.jp/13740540/
2010-02-15T17:19:00+09:00
2010-02-16T08:30:00+09:00
2010-02-15T17:19:32+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
なので、、あくまで自分の考えだけどそれについて「自分のコトバ」で書いてみます。
なんとなくだけど、、ワタシもそう思ってたので、このページを読んで一番に興奮した(カタカムナへの道P152~P156)。確かに自分てのがあるけど、、自分を自覚してるもんて一体何なのか??なんて思うときがある。もち、知識や経験など、固定観念があって物事の判断がつく。固定観念があるからカタカムナなんかを理解でき、それなりに直観も呼べる。だから「我」という固定観念があってこそ進歩があるってわけです。我とはこの世のコトバでもあって、日常のコトバが思念やら経験、トラウマまでもつくる。それがまた良くも悪くも潜在意識にインプットされる。
それが自分てもんなんだけど、、うちらはそれを地球質から宇宙質に塗り替える作業を与えられているんです、きっと。それが苦悩であり、、または直観で天意を知ろうすることであり、、自由自在で生かされてる。すべてがピタっと揃ってて、、うちらは天に染まるゲームをしてる。てかさせられてる。てかこれぞ究極の楽しいゲーム。そんでそれこそが冷え取り(浄化)でもあるんです。
「肉体が死んだら魂だけは残る」、、みたいな事を聞く。反射的に違うんじゃないの??って思っちゃう。簡単にそんなこと言えないし、わからないし、、実際、血中にあるソマチッドは不死身だし。火葬場で焼いても死んでないわけでしょ。うちらは悩は死んでも微生物が分解してるから、微小生物は生きてる。ソマちゃんも生きてる。
またネサンさんや千島教授は血を「液体細胞」と言い、その中の最も小さい微小体がソマチッド。それがうちらのココロにも反応する。それがカラダになる。ってことはカラダ、肉体ってのはうちらに反応するココロがあるってことですよ。だからココロもカラダも全くの同じもん、分けちゃいかんのよ。そんでココロは捕まえにくいもんでしょ、、したら大事にできるのはカラダしかないのよ。だから冷え取ってカラダを大事に、毎日感謝して生きなきゃいかんのよ。
量子的なことはムズイけど、、お釈迦様が「色即是空」って言ったし、カタカムナ人も「物心一元の唯物論」だし、「物質即是意識」。ワタシも、カラダに見えて、、実はカラダは微粒子でココロでもあって、全部が同じもんできていて、ってなんとなく感じてた。したらカタカムナ人は、、それが密度によってモノや見えないアマ界、カム界(無限界)、アラユルモノを創るという。もう、これは究極やね!現代の量子の世界もオクレテルって話でしょ。。
外のキレイな雪景色もそう。一つのカタチに見えて、、それが大変な光や電気や、、瞬間に重なり合いやら、、すさまじい動きで創られては消えて、、その材料がこの空間の間「マ」にあって、、モトは自然発生でアラユルモノができる。。うちらもその一つなわけよ。「我」もあって、そーゆう無限のアマの回転する始元量・マリでもあって、、しかもそれがココロなんだから、、
そうなってくると、、ど~すんの??アンタはなんなの??なんで鬱なんかになってんの??個として自立ってすでにちゃんとした宇宙質の「マリ」でしょ??そんじゃど~生きたらいいんじゃぃ??、、ってな話なんだけど。。
でさ~~、こーゆうことなんじゃぁ、、コトバも「はじめにコトバありき」なわけで、、神様がつくったわけよ、うちらを育てる為に。いい言葉も悪いコトバも固定観念なんよ。ハナッからコトバがあるんだもん。とにかくコトバで思いっきり表現し、使ってナンボ、、そんで痛い思いも経験して、、「アワ・宇宙質」になるんよ。それもぜ~~んぶ、セットされてるしね。もう考えるほど天・点・アマの仕業って思うっきゃないのよ。
んでうちらが生きられるよ~に、、食べもんも自然の中にある。。なのにど~なの?うちらのやってることは??考えなくてもいいことを考えて、ムズくなってる、ってことでしょ。あ~しようこ~しよう、ってやってココロやカラダまでおかしくなっちゃう。。要は、、天意を知ろうと、素人になって、、生きなきゃぁってことでしょ!、、どうあがいてもうちらその中で生かされてる、、素直にまんまでやりたいよーに生きなきゃぁいかん。。けど、、シャバはやっぱムズイ、、だからオモロイ、、イヤハヤ(/_;)
]]>
プラスエントロピーのカタカムナで若返り!
http://willss.exblog.jp/13693179/
2010-02-09T17:13:00+09:00
2010-02-10T10:27:25+09:00
2010-02-09T17:13:00+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
これは葉室氏のCDブック。意味はわからないけど気持ち良くて、寝るとき&起きるときに、子守唄&目覚ましとしてかれこれ5年も聞いてる。なのに全く飽きない。宇宙母体の中にいるよーな、、寝ている間も細胞まで浸み込んで行くよーな。。この日記でも何度か紹介した。本の内容もかなり濃い。(以下参照)
http://willss.exblog.jp/11486527/
それで、これが大和コトバの祝詞CDなんだけど、、落ち着くのよ。出だしが「タカマガハラニ カムズマリマス、、」これが、な、なんと、カタカムナのウタヒの中にあった!のよ。通りでモーツアルトよりも心地よく元氣になるわけで、、朝になればエネルギー充電されてるよーな、、これぞプラスエントロピーの栄養かな。
ところで男子ってのは、著書「カタカムナへの道」によれば、女子を通してしか電気をカラダに取り込めないらしい。電気とゆーのはエネルギー充電のそれを言うんだけど。これはもう「天然の理」だそうで。なので男子は女子よりも何かにつけて弱い、ってわけで。可哀そうな存在だからして、、可愛がってやらないといかんわけよ。
んでカタカムナ人は、その女性の魅力の根元を「アマナ」と言った。それを求め続けるのが男子。それで幾つになっても女子を追いかける。ま、これも「天の理」なわけで、、だから男子の愛欲は女子よりも優ってて、女子は待ってる、ってのはあるよね。肉食女子が増えてる昨今、ちと世の中おかしくなってきたよーな。。
エネルギー的にはこーゆーわけです。けど、サヌキ(理性)の男子にはとてもかなわない!っていつも思ってる。理性があって直観を呼べるわけで。なのでやっぱ、両者、プラスマイナスでどっちも大事ってことなんだけどね。
で、直観&思考でもってヒラメキという「カムヒビキ」が発生して、宇宙の氣をいただけるわけで。結局、うちらはその宇宙の氣、空間に充満するアマこそがプラスのエントロピー!なんです。だから栄養を摂って運動して毒だし、、だけじゃダメ。見えない世界と繋がろうとする気持ちが大事なんです。それが若返りになって、、老いても長生きってことみたいです。
マイナスエントロピーとはさっきの「天の理」、男子が女子を追いかけるこの世的な愛欲のことだそうです。ちなみに食事もそう、エネルギー消費の死のマイナスエントロピーの方向。。でも嬉しいことにプラスエントロピーってのがあって、、それが「アマウツシ」なんよ。これって若返りなわけで。大地の宇宙母体から、主に女体を通って現象界に湧き出す、と。なのでおりこうな男子は女子を大事にして、、お馬鹿な男子はモトモト弱いのにやたら女子に威張って、、挙句はエネルギー枯渇状態になっちゃうってわけです。。
それで、、男子も女子も追いつ追われつの恋愛ごっこだけじゃいかんのです!いや、それさえもできてないイソちゃんなのです(/_;)ってそれは置いといて、、ヒラメキで生きなきゃいかん、ということなんです。天はうちらに何を望んでいるのか?どー生きたら天に染まれるのか??なんですね。それをやらないでこの世的なサヌキ性でばっか生きてたら、、病気または酸化のヨボヨボになっちゃうわけですよ。。
カタカムナ人は、、こうして宇宙法則や天意を直観のヒラメキで呼び、百歳以上の長寿と人類最高レベルの文化を産んだそうです・・。
なんのためにコトバがあるのか?その光透波をうちらは存分に使っているのか、、今のココロ・念」が、、思念に、、そしてカムヒビキのヒラメキを呼ぶ、、それが個としての自立。個々が自立してこそ、労わり合いほんとに仲良くできる、、個=全体が良くなる、、ってことでしょ。。
これがカタカムナからの大事な教え、、ですよね。
]]>
いそじ流カタカムナ・・そのⅠ
http://willss.exblog.jp/13654565/
2010-02-04T18:18:00+09:00
2010-02-06T16:44:46+09:00
2010-02-04T18:18:18+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
久々に入った佐久のケーキ屋の二階。カプチーノを注文。「あれれ、この動物変!?」、眉毛があるし、ジョークなのか??
ま、ワクワクしつつ制限時間は30分だし、、すぐにカタカムナをひろげる。最近はケーキもそんなに欲しくない。いちんちかなりなスピードで、ちょこまか動き回ってる。たぶん、、ムソジの今、同年齢の人の3~5倍は動いてるんじゃぁ。。帰ってパンを焼いてから7件の発送で分刻みのスケジュール、終わってこのブログだし。。
明日でもいいんだけど、仕事はどんどんやる。パンを仕込んでデスクワークに発送に発注に、、ヘロヘロで寝る。あぁ、、今日はお風呂ムリだぁ~~ってのが週に2~3回だもん。なので夕食しつつお笑いを見るのがチョー楽しい時間。休まずいろんなことやって、合間に癒しがあって、またヘロヘロで、また夕食で癒され、寝る、、みたいな毎日。。その緩急こそが楽しいわけよ。
以前、婚活した年金暮らしのオッサンが、「時の流れをゆっくり楽しみたい、いそじさんじゃぁペースが合わない、、魔法をといてこっちにくれば受け入れる、、」みたいなこと言ってたっけ。「冗談じゃね~ぞ~!!そんなん死ぬの待ってるよーなもんじゃね~のか~ぁ!」なんて言わなかったけど、、そう思っちゃう。だって仕事から離れた素のワタシはと言えば、、かなりなノロマ。木の上にいちんち張り付いてるあのナマケモノ、みたいな。仕事があって動けるわけで、、なかったらとうに運動不足で死んでる。こーしてブログも書けるし読んでもらえる。。忙しいけど、ありがたいったらないっす。。
で、前置きがすぐこーなっちゃう。。カタカムナ書こうかと思ってて、、なんでってどんどんコトバが出てくる。いや、出てくるんじゃなくてキャッチなんだよね。脳からコトバが出るんじゃなくて、、コトバが脳に入ってくるのよ。脳=能であって、、コトバを呼ぶ能動なんよ。これって結構大事なんです!これはあとでね、、
それでカフェで30分読んだ。こっちを読んではあっちを開き。。本なんて読み出したのが50歳からだもん。そんでいまだに左脳の読解力じゃ遅くて読めない。いえ、それどころかアタマに入らない。なので右脳で読む。字のカタチや意味を感じて読むんよ。。一冊の本をじっくりじゃなく、、大体は2~3冊一緒に読む。そのほうがオモロイしあきないし、、なので全く違う作者のを一緒に読む。
てか、関係ないことまた書いてるし、、でも、カタカムナは「アワの右脳の感覚」で読まなきゃぁ、って思う。カタカムナってのは要は、、「自分のことやん!」って思った。カタ(カタチあるもの)と、カム(無限に広がる根源力)の、ナ(分身)、、てことは自分であり全体であり、すべてのすべて、、ってことだよね。
お釈迦様は「天上天下唯我独尊」とか悟ったわけでしょ。したら「ワタシ」っきゃいない!ってことでしょ。そのワタシは原子でできてる言私、なわけですよ。コトバってのは私でありエネルギーのモト、、みたいね。だから元氣は言氣、って書くでしょ。。元はモト、、原子・原始からコトバありき、、なんよ。だからうちらはコトバでできてるんよ、きっと。コトバといってもアタマで考えるのとは違う、、一言で言えば「慈愛・字空意」のことかな。。
カタカムナ人はこの空間から宇宙のヒビキをキャッチしてたわけでしょ。宇宙法則を。ならば空間のヒビjキはコトバってことでしょ。したらコトバは空間の材料で神で光で量子の粒で、、キリスト様やお釈迦様だって慈愛のコトバの法則に生かされてた。その法則こそが神なわけでしょ!!
なのに、、どこかに行って覚者と言われてる人の話を聞いても全くダメで、、ってかつてのワタシのことなんだけど。天上天下唯我独尊なんだし覚者も不要ってことでしょ。その唯我独尊の神の子の自分を認めない限り、、天意とヒビかないってことなんよ。。意識はつながってるんだから・・。
そんでカタカムナ人は天意のアマウツシをやってたってことこそが大事なんです!。それをやっただけアワ量は増える!天に染まる、、そんで黄泉の国に帰れるってわけで。黄泉とは、、読み、、天意を読まなきゃそこに行けないってことなのよ。なので、、カタカムナ語を覚えるだけじゃダメで、、カタカムナ人やってナンボってことなんです!受信なんですね。
で、受信てのは、、念を出せばいいんです。念とは今の心、なんですね。なのでムズイことはなくて、、今ココの思いが念なんです。ちなみにココロってのは「ここ露=ここの露われ」、てことはやっぱこの空間がココロなわけで。。んで、、なかなか当たり前すぎて気づかないのが「思い」なんよ。思いってのは「コトバ・光透波、エネルギー」なんですね。コトバの思念こそが元氣になるんです!。
コトバの良し悪しを選んでたら半分きゃ元氣が入ってこないんですね。いい子ちゃんしてたら。これって病気のモトにもなるんです。いい子ちゃんに鬱が多いでしょ!正直に言いたいことを言う、抑えたら神に逆らうってことなんよ。で、念は「今のココロ」、、読み変えるは「黄泉に還る」、、悪は「開く」、、慈愛は「字愛・時愛・治愛」、、みたいに字にはいろんな意味とヒントがあって、、それを読まなきゃぁカタカムナ人になれないわけよ。。悪いコトバってのはうちらの固定観念で冷えなんですね。
結局、うちらの世界は思念・コトバでできてるんです。自分の周りも自分の念で創ってるんですね!そんで空間にあるコトバ(天意)を呼ぶには、、アホがいいんです。アホは「空保」なわけで、、アタマはカラでいいんです。そしたら天意らしきものがキャッチできるんです。。念を発して、、あとはアホで待ってる、、ってね。「そーゆうのをアホらしい!とか言わずにやるアホが得をする」、、ってね。やらなきゃ損、、いつまでもカタカムナ的アワ性になれないわけで、、
まだ全然まとまってないですが、長くなるのでここで切ります。
とにかく、、要はなんなの?何が大事なのカタカムナ??を、いそじ的にまた書いてみます。
猛スピードでアホで打ち込んでみました。なので意味不明でも、アタマおかしいぞ~!!って言われても編集せず、アップしちゃいます。。あくまでワタシの感・観・完・神・勘、、ですが適当に読んで天意を呼んでね!そしてこーゆう思念がアワ量となり、ちょっとずつ天意に染まり、、ご褒美に元氣i=言氣を貰えるってしくみ、みたいね。。
]]>
天気と風景と天風さんのコトバ・・
http://willss.exblog.jp/13555222/
2010-01-23T15:17:00+09:00
2010-01-24T10:22:49+09:00
2010-01-23T15:17:12+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
今朝の6時過ぎは零下5度だった。キーンとした寒さが好きでパン焼きの合間に外に出る。あたり一面グレーの景色、なんか赤い!朝日で山一つが赤く染まっててチョーきれい!!
粒々の粉雪が一面に落ちてた。雨も雪も粒で均等に降る。これって凄いことだよね。きのう載せた本に、雨が一箇所にザバーッと落っこちたらどうでしょうか?太陽がなかったらどうでしょうか?って書いてあった。うちらはそーゆうものへの感謝を忘れてて、それこそが大事って。
太陽がなかったら、真っ暗闇、零下400度にもなるそーな。うちらは存在できなくなるわけで、、心地よく存在できるよーな宇宙法則に生かされているらしい。あぁ、、これぞ慈愛の空間なんだぁ~!!って思った。うちら温か~い慈愛の空間を息し、生かされてるわけで、、ほんと、ありがたいことです。
これは中村天風さんのコトバなんですけど、気に入って今は亡き母に書いてもらった。寝室でいつも目にしてる。最近その意味がやっとわかってきて、、当初はありのままって素直に生きればいいのかな?みたいに思ってたけど、、もっと広い意味みたいね。うちらは「ありのままの慈愛の世界に生かされ、身も心もありのままで生きられ、そのありのままをありがたく生きる、、」みたいなこと言ってるのかな。。
カラダは痒ければ掻く、、そーするとキモチイイ、、それが毒出しになってて、、カラダが元気になる。そーゆう心地いい感覚を与えられ、いつか心地いい方向に行くよう生かされてる!ってことみたいね。
天風さんは最期、確か?お腹に腫瘍ができたんだっけ?それでたとえ病気でもガンでも、、「ありのままに我ある世とし生きゆかば悔いも恐れも何物もなし」の心境だったんでしょうねぇ、、ちなみに昔読んだ天風さんの本、最後の最後に「自分は粒」ってあったんだけど、、「何物もなし」ってのはこの粒を意識してんのか??いやいや深いねぇ、、まだまだこのコトバ、考えねば、、考える=完還るだし、、
]]>
カタカムナ・・はじめに
http://willss.exblog.jp/13547575/
2010-01-22T14:38:00+09:00
2010-01-26T16:57:01+09:00
2010-01-22T14:38:01+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
しかし、、ざっと読んでみたらカタカムナ文明ってのは幅広い!なんたってコトバの世界全部であって、それが宇宙全体を意味するものなんだから・・。もう宇宙の智慧みたいなものなんですね。上古代人(万単位の古代)はその生きる智慧、直観力をコトバに託し、後世に残そうとしたものがカタカムナ語、だそうです。
彼らはまだ神とか霊とか、そんなコトバもなかった時代に身を守るために鋭い五感、六感を働かせて直観を呼び、危険を素早く察知し、敵からの来襲や天災から身を守ったそうです。うちらは人工食に人工環境によってそのヒラメキを呼ぶチカラが退化し、自らの身を守ることさえできなくなっている!ということなんですね。そう、いつも言ってるよーに、それには浄化なんですね。カラダの浄化で退化してたそのヒラメキキャッチ力が戻るってわけで。。
実は、、何度か書いたけど、ワタシも10年前位から直観を呼び、冷え取りを自力で考えてきたんですね。それがこの日記であり、小冊子「私の冷え取り」なんです。わからないことは「何?何??」って発信すればいいんです。すると答えが返ってくるんですね。誰でもその力はあるけどやらない。信じない。なのでキャッチできないだけなんです。発信して待ってると必ず答えが来ます。必要なときやればいいですね・・てかシンクロなんかもそれですよね。
ジブンは電気体でもあって受信機なんです。チャンネル(周波数)を合わせるとキャッチできるんです。合わせるってのは、そーゆうもんが飛んで来るぞ!まだかな?!って意識すればいいんです。で、繰り返しキャッチしてると当たり前ってなって、必要なときに飛んでくる。なのでわからないことも大体は自力=字力=磁力、でわかるんです。こーなんじゃぁ!ってわかって、それが千島学説なんかに書いてあったりで、嬉しくなるんです。自分てのはただもんじゃない!神の子??って尊敬に変わるんです。それが一種、サトリかも。やってみそ!
で、冷え取りで毒受けがひどく、引きこもって誰にも会わずに山でこれを5年やってたんですね。傍が見ればもう病気ですよね。それとコトバは光透波、エネルギーでありこの空間であり自分であり、自分の自とは字(ジアイ・慈空意)、なんですね。これも「自力=磁力」で答えを引き寄せて直観したからわかったんです。わからないことはコトバを違う漢字に置き換えたり、分解(字分け)したりして、直感を呼んで答えを引き寄せて、かれこれ15年やってたんです。
それって自分のレベルでいいんです。そんで死ぬほどの冷え取りも一人でなんとか乗り越えられました。「コトバで直観を呼ぶ」、正にカタカムナ語を読んでた!カタカムナをやってた!ってわけです。なので初めて稲田さんの「カタカムナの道」を読んで、違和感もなくスっと浸み込んだのは下地があったってわけなんです。キタ~!!時機到来~~!!、、みたいです。
それでカタカムナ語は字を見て勘で自分なりに理解すればなんとなくわかるんですね。誰でも。抽象的ですがうちら、自・字・慈なんですね。ワタシ的には本の通りにしっかり覚えなくてもいいかと思ってます。先祖をたどれば誰だってカタカムナの血・智が宿ってる。その記憶はあるってことなんですね。大事なのは言ってる内容を自分なりに直観することかと。。そしてどー生きるか、日常に活かせばいいんです!やらなきゃ損です!わからない??じゃなくて、本を目で追ってればいいんですね。ワタシもムリムリ!って思って、でも読んでみたらチョーハマりましてん。。
ハマルと粘着型、早速アマゾンで関係ある書をいくつか取り寄せた。これはその中の一冊。あれこれ読んで自分なりにカタカムナを理解し、直観を呼ぶのが楽しみ。冷え取り的生き方はカタカムナ的生き方だと思う。カタカムナは決して誰かが考えた精神世界なんてもんじゃなく、うちらの究極の生き方、いえ、誰もが当たり前に生きなければならない生き方みたいです。
この書によれば、「古代人が生きるために必死で呼び寄せた直観のヒラメキをサトリ、天からの直観の呼び寄せをアマウツシと言い、そしてこの見えないチカラ(イヤシロチの電位、マグマエネルギー)をオソレ、イヤマヒ、ヒレフス、ココロでただただ部族の安全を守るために「ヒラメキ」をモトメた・・」と。
「この受動的な古代の感受性をアワ性(女性質、受容的親和性、植物性、客観的、内観的)といい、アワ量の増大こそが質的な転換であり、受動的なココロの動きから能動的なココロの働き、サヌキ性(男性質、外向的、攻撃的、主観的、自己中心的)への転換で上古代人は力強く生きていた。己の意思をコトダマのヒビキに乗せて放射することで宇宙のヒビキ「イノリのスベ」を出すことを会得したのである・・。私たちの先祖カタカムナ人はそのアマウツシによってコトダマのサキアフ(盛んに発生して溢れるの意)国として平和で高度な精神文明を築き上げていた・・」と。
カタカムナ的生き方、今の時代にピッタリ!!なんかワクワクしませんか(^_-)-☆
直観を呼ぶ、、それはカタカムナのアマウツシ、、そして自らの慈愛・アワ量を豊富にし、他者とのつながりを感じ、、生かされてることに感謝し、元氣エネルギーを周囲に放出しつつ生きる、、正に冷え取りですよね!
]]>
ひとりごと・・
http://willss.exblog.jp/12866761/
2009-11-06T16:12:00+09:00
2009-11-06T16:38:55+09:00
2009-11-06T16:12:23+09:00
will_kenkou
カタカムナ&内観
ま、オモシロキャラも自分でもあるよね。だけど、、見かけ、おとなしい感じかな。で、空の天気のように、、雲の上は一定で変わらないでしょ、、ココロも奥の自分てのは、変わらないものが存在してると思ってるんだけど、、
それで表面の自分ってのは、一人でいるときは別として、、みんな多かれ少なかれ仮面つけてるわけよ。それも自分なんだけど。で、思ったわけよ。仮面てのはいくらでも付け替えられるわけだし、、自分の中のどれを出すか、なのかなって。。
で、歯医者はコエーし、、元気オモシロイテテテ仮面で乗り切るっきゃないし、、って今回、思ったわけよ。さほどムリじゃなく、、自分も他人も心地いいわけで。心地よく生きるってのは、、感覚だけじゃなく、こんなこともあったんだ!できるんだ!って遅ればせながら思ったわけよ。。
自分なんてあってないよーなもんで、、ココロたってどーせ固定観念なわけでしょ、、ならば自分も相手も心地いいキャラの仮面を着けりゃいい!もっと仮面を増やせばヒト的にもオモシロイことになる!って。
もう、生きるって芸術やねぇ~、、一人一人がアーティスト、、なわけやねぇ~。。
しかし、、この余裕、デトができてこそやね!やっぱ冷え取り効果なのか!?ってゆーか、、やっぱ未知の経験、インプラントにビビってるだけなのか、、ウェーンエンエン
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/